こんにちは、もしくはこんばんは。
工場長の電気です。
おととしの5月末、我が子が生まれた時の状況を綴った記事が
書きかけで保存されていました。
コロナの世界が本格的に始まったことと
娘が爆誕したことのダブルで、自分の日常があまりにも激変し慌ただしくなり
当時、この記事をじっくり完成させてアップすることが出来なかったのだと思うのですが
(実際子育てと仕事で余裕がなく、今までブログは空白期間だったわけなので)
今回ブログを復活しようと思ったのも、その間に作ったプラモやフィギュア、または色んな趣味についてをアップするだけではなく
子供が出来たことへの思いもここに綴っておきたいという気持ちになったからでした。
というわけで、ここからは2020年5月末に書きかけていた記事ママです。
今や世間はコロナと当たり前に付き合う時代となってしまったけれど
最初の緊急事態宣言があった頃、私はこんな状況で
こんな体験をしました。
工場長の電気
いやさパパ電気かな?
いやさ電気パパです。
・・・・・・。
私の誕生月でもあるこの5月、26日に
我が子がついに降臨しました!!!!!!
当初の出産予定日は5/31でした。
そこから出産に時間がかかれば、6月の誕生だったかもしれませんが
私的には絶対に5月中だと、妻の妊娠初期から確信がありました。
しかし、世はこのご時世に見舞われてしまい
里帰り出産でお世話になるクリニックはもちろん
ずっと私も付き添いで皆勤賞だった
妻が検診でお世話になっていた近所の病院も、一切の付き添い・立会い・面会が
出来なくなりました。
緊急事態解除の見通しもなかった状況下では
いざ出産になっても、妻の手を握って応援してやることも、分娩後の面会も叶わず
妻と子が元気に回復して退院するまで、会うことが出来ないということになります。
私は最初から迷いなく、出産立会いをする気だったため
それはガッカリしました。
しかし、少しして
リモート出産なるものが可能だと聞き
それが出来るならやろうと決めました。
そして、事態はギリギリで少し好転。
妻の実家から帰る日、お義母さんに駅まで送ってもらう車の中で
月末出産なら、緊急事態解除に間に合うかも!なんて
妻と話していたその後
クリニックのHPに、緊急事態解除の翌日の朝からであれば
分娩後の面会が、原則1名のみ
15分間だけ可能とのアナウンス!
これは呼ばれてるぞ!と喜ぶも
その翌日の早朝から、妻の陣痛がいよいよな感じで
予断を許さない状況に。
妻は最後のひと月は里帰り出産のために実家暮らし。
すぐにクリニックへ行き、そのまま入院と検査。
その時点では、「夜に出産」と連絡があり
備えました。
しかし
25日に緊急事態解除が出ても、クリニックのアナウンスでは
分娩後面会は解除の翌日から。
ということは、25日の出産だった場合
分娩後面会は叶わず
妻の退院まで会えないということに。
またもガッカリ。
もちろん、母子ともに健康であれば、それ以上のことはない。
だけど、妻は相当な不安と恐怖の中での出産体験をするのに
その場に夫や家族がいてやれる、という当たり前はこのご時世になった以上ないわけで
分娩後、我が子を見たり触れたりはもちろん
何より誰より一番辛い体験をして乗り越えてくれた、妻をねぎらうことが出来ないということに
とてつもないジレンマが生まれます。
そういう思いが我が子に通じたのか、また事態は好転します。
25日から26日に日をまたぎ、私も徹夜で状況を聞き(LINEで)
いつ分娩台に乗るか、ただ待つ時間。
割と泰然自若、焦ったりすることはなく
気持ちとしてはリラックスしてはいましたが
だからと言って、造形をして待つとか
あつまれどうぶつの森をして待つとか
別のことに集中して待つことはさすがに出来ません(笑)
そして朝が過ぎ、お昼前に妻から
子宮口の開きが停滞したため、促進剤を使用との連絡。
私はお義父さんと連絡を取りつつ身支度を済ませ
実家の最寄駅へ。
少し余裕を持って最寄駅に着いて、待ち合わせまで軽い昼食とお茶を・・・というところで
「分娩台に乗る!」と連絡が!
急ぎお義父さんたちと合流し、クリニックの駐車場へ。
朝のうちにクリニックには連絡し
リモート出産をすること、駐車場で待機させてもらうこと(ご時世でロビーには入れないため)
無事出産が終わったら、奇跡の緊急事態解除翌日にあたるため
分娩後面会をさせてもらうことを了解いただいていました。
病院の駐車場から
リモート出産の許可をもらった通り、分娩室の妻とLINE通話しながら
車の中でお義父さんお義母さんと一緒に
一部始終を見届ける。
最初の妻の叫びからこみ上げるものがあり
三人で声をかける。
ここからはもう無我夢中で
妻の叫びがある度に涙が。
娘の誕生は予定日より6日早まって
2020年5月26日16時34分
3280g、49.5cm
4時間頑張ってくれました。
この時間は、長かろうが短かろうが
体験する前はものすごく長く感じるだろうと思っていましたが
あくまで妻が分娩台に乗ってからの時間は
私の体験、体感的には思っていたような長い時間ではなく
LINE通話の向こうの分娩室に釘付けで
とにかく目を離せない時間、という感覚でした。
そして、奇跡的に叶った分娩後面会ですが
緊急事態宣言が解けても、病院の決まりで面会出来るのは一名のみ15分。
分娩室前で防護服を着て、すぐに汗だくになりながら、頑張ってくれた妻と
娘と対面。
初めて触れた娘の感想は…
ぷにぷにで和菓子の求肥(雪見だいふくの外皮に使われるアレ)みたいだと
お義父さんたちに話したのを覚えています(笑)
妻は身長が低いこともあり、出産にあたり
色々な危険も考えられ
やっぱり無難な出産などないと思います。
結果的に、有難いことに安産だったというだけで。
しかもこの日、高校の同級生の女の子が
我が子誕生の1時間後に出産
うちの妻は20代ですが
彼女は40代中盤のことで、無事に出産を終えて
しかも我が子と同じ日の1時間違いとは
二重の喜びでした。
妻と娘の退院お迎えも、部屋には入れないまでも
ロビーで待った後に看護士さんが記念写真を撮って下さり、晴れて家族3人でお世話になったクリニックを出ることが出来ました。
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という、書きかけだった記事に、不足分の付け足しをしました。
娘が2歳になる前にこれを残しておきたい、というのも、ブログ復活のきっかけなので
ちゃんと記事に出来て良かったです。
こういう世の中になったことにより
従来とは違う出産スタイルを体験したわけですが
娘が大きくなった時に、妻と「あの時はこんな時代だったんだよ」と、笑って語り合える世界であって欲しいと願います。
疫病的なことだけでなく、戦争もある。
世界は私たちが知っているより
思っているよりも、遥かに複雑で
色々な政治や利権、思惑、メディアが絡み合ってほどけなくなっている。
娘がそれなりに大きくなる頃には
せめて、人の心が今より少しでも豊かになっていてくれれば。
そう願います。
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お付き合いどうもありがとうございました。